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「糧食研究会」とは? |
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糧食とは食糧のことで、主に主食物をさします。糧食研究会は、「国民糧食の安定及び改良を図る」ことを目的として大正10年(1921年)に農林大臣の認可を受けて設立された、食糧関係ではもっとも古い歴史を持つ財団法人です。現在は、東京都所管の一般財団法人としての認可を受けています。 |
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設立の時代背景 |
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大正7年(1918年)、全国的な米騒動(越中女房一揆)がおこりました。当時の時代背景として、大正3年(1914年)6月にセルビアの一青年によるオーストリア皇太子暗殺事件(いわゆるサラエボ事件)をきっかけとして第一次世界大戦が勃発しました。イギリスと同盟関係にあった日本(大日本帝国)は、イギリス・フランスからの要請を受け、連合国側として参戦し、ドイツの租借地であった山東省青島への進攻や、シベリアへの出兵を実施しました。 開戦後、日本国内では軍需産業が急激に勃興し、この影響を受けて米の思惑買いと政府の米価調整の失敗から前述した米騒動がおこり、当時の寺内内閣は責任をとって総辞職に追い込まれました。騒動は、富山県魚津から全国に広がり、その影響でこの年の全国中学校野球大会が中止されたほどです。
官政財学の選りすぐりが設立 |
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ロンドンで母国の米騒動を知った林博太郎(伯爵、貴族院議員、文学博士)と稲垣乙丙(東京帝大教授、農学博士)は日本の糧食問題研究の構想を固め、帰国後の大正8年(1919年)6月28日、築地精養軒に有識者26名を集めて発起人会を開き、林博太郎を会長とする糧食研究会を設立しました(2年後に財団法人として認可)。 会の目的は「糧食研究特に焦眉の急である米の消費節約方法について研究、得られた結果を社会に発表宣伝し糧食問題の解決に資することとする」とされました。 発足当時の顔ぶれは、官界・政界・財界・学界のトップクラスが集まり、名誉会員5名(床次竹二郎・内務大臣、加藤高明・子爵、田尻稲次郎・子爵、山本達雄・農商務大臣、渋沢栄一・男爵)、評議員30名、特別及び普通会員212名の計247名から構成されていました。
より広範囲な分野へ |
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設立当初の糧食研究会は、当時の食料問題の真相を周知徹底させるための「米の消費の節約」に関する講話や、「代用米」などの研究が活動の中心でした。しかし、時代とともに研究活動のレパートリーは拡大し、現在では「プロバイオティクス」、「栄養・免疫」、「生理活性物質」、「乳製品特性・製造」、「高齢者栄養」、「小児栄養」などの分野で先駆的な研究を行っている大学や研究機関に研究を委託し、学術の発展および人の健康増進に努めています。 また、学術領域での新たな発展を支援するために、生命科学にかかわる素材や生体防御機構の分野の科学技術に関する研究助成も行っています。 |
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