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年度 |
号 |
研究者 |
タイトル |
大正8年 |
1 |
林博太郎 |
開会の言葉 |
大正8年 |
1 |
稻垣乙丙 |
糧食問題に就て |
大正8年 |
1 |
澁沢榮一 |
稲垣博士の講演を聴いて |
大正9年 |
3 |
稻垣乙丙 |
炊飯に就て |
大正9年 |
3 |
田島 亘 |
代用食糧として玉濁黍を薦む |
大正9年 |
4 |
稻垣乙丙 |
國民糧食の標準は今は米七雜三、將来は米六雜四 |
大正9年 |
4 |
原 敬 |
米麥混食の奬勵 |
大正9年 |
4 |
一戸伊勢子 |
御飯にかけて食するもの品々 |
大正9年 |
4 |
中澤辨次郎 |
壓搾(押)麥に就いて |
大正9年 |
5 |
澤村 眞 |
米は如何にして食ふが利益か |
大正9年 |
5 |
稻垣乙丙 |
新式辨富[汽車に於ての辨富は此の如くありたし] |
大正10年 |
7 |
澤村 眞 |
米の搗白廢棄物の利用(新滋養食料オリザールの製造) |
大正10年 |
7 |
一戸伊勢子 |
滿州高梁に就て |
大正10年 |
11 |
明石梅吉 |
麥食に就て |
大正10年 |
12 |
稻垣乙丙 |
國勢調査の成績と糧食問題の歸結 |
大正11年 |
13 |
稻垣乙丙 |
外米及正投搗米のたきかたに就て |
大正11年 |
13 |
鈴木梅太郎 |
ヴィタミンとは何ぞや |
大正11年 |
14 |
永井 清 |
蛋白の營養價に就て |
大正11年 |
15 |
稻垣乙丙 |
日本に於ける榮養質の供給と國民の保健食量 |
大正11年 |
15 |
杉原清一 |
加州米と臺灣米 |
大正11年 |
16 |
稻垣乙丙 |
支那蕎麥とは何ぞや |
大正11年 |
16 |
伊藤信介 |
亞繭然丁の米作 |
大正11年 |
17 |
稻垣乙丙 |
米と比較しての麥の研究 |
大正11年 |
17 |
石川潔太 |
我國食糧問題根本的解決 |
大正11年 |
18 |
鈴木梅太郎 |
食糧問題に關する講話 |
大正12年 |
20 |
麻生慶次郎/名越 徹 |
米の新古鑑別法に就て |
大正12年 |
20 |
三浦政太郎 |
ヴィタミンと健康 |
大正12年 |
21 |
稻垣乙丙 |
文化麥とココイドに就て |
大正12年 |
23 |
稻垣乙丙 |
震災に就ての感想 |
大正12年 |
23 |
丸本彰造 |
想ひ起す大正7年の米騒動の發端 |
大正13年 |
27 |
稻垣乙丙 |
今日までの米不足の眞相を論ず |
大正13年 |
27 |
石川潔太 |
菊芋の栽培及需要の奨勵 |
大正13年 |
28 |
稻垣乙丙 |
米の過剰なる地方と不足する地方 |
大正14年 |
30 |
稻垣乙丙 |
今はどの程度に節米すべきか何れの地方が殊に多く米を消費するか |
大正14年 |
30 |
石川潔太 |
緊急動議以て富局及國民の至誠に訴ふ |
大正14年 |
31 |
稻垣乙丙 |
米價調節はどの程度行はるべきか |
大正14年 |
31 |
佐々木林治郎 |
牛乳の色 |
大正14年 |
32 |
稻垣乙丙 |
移輸入米が内地の米價に影響する程度如何 |
大正14年 |
33 |
稻垣乙丙 |
小兒の死亡率と其の食物とに就て |
大正14年 |
33 |
正田禎一郎 |
我國の食糧問題と西比利亞の開發 |
大正14年 |
34 |
安藤廣太郎 |
食糧問題の歸趨 |
大正14年 |
34 |
石川潔太 |
何故に日本の小兒は死亡率が多いか徹底的根治を要す |
大正14年 |
34 |
稻垣乙丙 |
現時我邦の耕地の糧食生産力 |
大正14年 |
35 |
稻垣乙丙 |
糧食新設 |
昭和元年 |
36 |
雪浦十郎 |
ソーセージ被包及包装に就て |
昭和元年 |
37 |
稻垣乙丙 |
餅に就ての實驗 餅とご飯の比較、糯米と粳米との比較 |
昭和元年 |
37 |
河井重蔵 |
米穀の貯蔵及精白に就て |
昭和元年 |
38 |
稻垣乙丙 |
大正年間諸食品生産の消長 |
昭和元年 |
39 |
鈴木梅太郎 |
人口問題と化學 |
昭和元年 |
39 |
平尾菅雄 |
糠入り飯の炊き方 |
昭和元年 |
41 |
脇谷洋次郎 |
帝國糧食給源の一提案 |
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