一般財団法人 糧食研究会
The Food Science Institute Foundation
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糧食研究会の歴史
3.鈴木梅太郎時代 (昭和3年/1928年〜)
研究領域が広がる
設立当初の研究はもっぱら節米、代用食、米価の調節などに主力が注がれていたが、次第に各方面に研究の幅を広げ、昭和に入ってからは(1)米麦の混食の奨め、(2)米価並びに一般物価の研究、(3)各種の食物の生産と消費の研究及び統計、(4)栄養の研究、又其の他一般食糧に関する研究などとなっていった。

昭和3年稲垣乙丙逝去の後、本会創立と同時に評議員として参画していた東大教授鈴木梅太郎博士が専務理事となり、昭和12年満洲国大陸科学院に招かれるまでの9年間糧食研究会で多大の功績を残した。
鈴木梅太郎博士、パトローゲンを完成
創立当時から、本会の主旨に深い関心を持って寄附をした財界は大財閥と金融機関が主で、食品業界では米、麦を扱っている企業しかなかったが、昭和3年特別会員として明治製菓の専務取締役有島健助(明治乳業第二代会長)が入会し100円を寄附した。

大正11年(1922)頃鈴木梅太郎が育児用粉乳「パトローゲン」を完成した。当初、糧食研究会で製造していたパトローゲンだが、昭和7年(1932年)パトローゲンの製造販売権を明治製菓に譲渡することを決定し、明治製菓から発売された。その後明治乳業より製造販売されるようになった。

昭和11年(1936)、明治製菓の小出義男(後の明治乳業第四代会長)は、鈴木梅太郎の希望を入れ、親会社である明治製糖の社長相馬半治(明治乳業初代会長)と相談し、明治製糖の研究所の3階を糧食研究会の研究所として提供した。


会の主要な出来事
国内外の出来事
昭和3年(1928年)
3/27 専務理事稲垣乙丙(農学博士、東京帝大名誉教授、従三位勲二等)死去
5/25 役員会、評議員会(中央亭)を開催、専務理事稲垣乙丙死去につき、後任に鈴木梅太郎を推薦
11/20 明治製糖(株)専務有島健助は特別会員となり100円を納入
昭和3年(1928年)
ミッキーマウス誕生
昭和4年(1929年)
2/18 機関誌「糧食研究」第54号に初めて明治製菓(株)の菓子と乳製品の広告を掲載
5/11 赤坂溜池町の三会堂で総会、講演会、試食会を開催。講演は「パン、牛乳及乳製品について」鈴木梅太郎(専務理事)、「澱粉と科学」正田貞一郎(理事)
昭和4年(1929年)
ニューヨーク株式大暴落(世界恐慌)
 
昭和5年(1930年)
米価暴落。サッカーの第1回ワールドカップ開催
昭和6年(1931年)
12/14 「母乳代用品に関する座談会」を開催(丸の内会館)、医学界より島園順次郎、鎮目専之助、太田孝之、小山武夫、小田正暁、竹内薫兵、島信、小川原亮その他が出席
昭和7年(1932年)
10/28 役員会、評議員会(日本工業倶楽部)を開催、本会製造のパトローゲンの製造販売権を明治製菓(株)に譲渡の件並びにファーストミールの製造販売を高野亀吉と契約の件を可決
昭和6年(1931年)
満州事変
 
昭和8年(1933年)
日本、国際連盟を脱退。三陸地方で大地震、大津波。米殻統制法公布
昭和9年(1934年)
11 機関誌「糧食研究」第100号記念論文として、専務理事鈴木梅太郎は本会の沿革と事業を発表
昭和9年(1934年)
室戸台風上陸。東北地方大凶作
昭和10年(1935年)
4/15 三井報恩会より米糠、蚕蛹及び蜜柑皮の利用に関する研究費として3年間に26,000円を受ける
この研究は専務理事鈴木梅太郎指導により4名の研究員が東京帝大及び理化学研究所で研究することになった
4/30 明治製菓(株)に対するパトローゲンの契約満期
5/5 同上契約を2カ年間継続することに決定
昭和10年(1935年)
デュポン社でナイロンが開発される。日本ペンクラブ発足
昭和11年(1936年)
8/1 明治製糖(株)研究所内に本会の研究室を開設
昭和11年(1936年)
全日本職業野球連盟が結成され、プロ野球が誕生



鈴木梅太郎 (1874年(明治7年)〜1943年(昭和18年))
鈴木梅太郎 静岡県出身。農芸化学者。
東京帝国大学を卒業後、スイス・ドイツに留学し、後に東京帝国大学教授となる。農芸化学会の生みの親となり、国民生活に直結した農芸化学・生物化学の発展に貢献した。

1910年、脚気の原因究明の中、米ぬかからオリザニン(ビタミンB1)を発見(ビタミン学説の第一歩)。1922年、米を原料としない合成清酒を発明。1922年頃、育児用粉乳「パトローゲン」を完成。1943年文化勲章受章。


「パトローゲン」の創製
パトローゲン 本会の業績で最も良く知られているのが育児用調製粉乳「パトローゲン」である。明治、大正時代は、母乳が不足するとまず牛乳を飲ませ、牛乳が手に入りにくい場合にはコンデンスミルクで代用していた。

大正11年(1922年)頃、鈴木梅太郎は各種母乳代用品の栄養実験を行っていたが、コンデンスミルクでは栄養的に不完全であることが判り、栄養の完全な育児用粉乳の研究を進め、稲垣乙丙の開発したココイドを主原料としこれに粉乳を配し、さらに無機塩、酵母などを加えて育児用粉乳「パトローゲン」を完成した。

(左:当時の広告)
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